午前中は、種で育てたトマトとオクラの苗を庭に植え替えるべく、草むしりと堆肥のすきこみを孫に助っ人を頼み一緒に庭仕事。炎天下の中9時過ぎから10時半まで頑張ったが2人とも力尽きて、居間で冷たいものを飲んだ後は、中井の畑にトマトの苗の植え幅を見に行く。そしたらIさんがレタスやしゃれた葉物をくださった。Kさんにもハーブのボリジの花をいただく。
お昼ごはんは孫の家で、孫はママのお弁当。私は持参のシュガーレディのカレー。食べ終わったら孫がデザートに「かき氷」を作ってくれて成長を感じました。
11:50 帰りがけにご近所のお宅のお庭拝見。
午後は平塚へ女性史講演会。
主催は女性史に学ぶ会。後援、平塚市、平塚市教育委員会。
タイトルは、「伝えたい、非戦の思いを―近代戦の戦争と女の関わり―」13時半から16時半まで。
内容は、明治9年の征韓論にて清国と対立から始まり、明治15年の壬午事件、明治17年の甲申事件、この時に民権家の岸田俊子は侵略主義的な漢詩を詠んだ。
など、明治政府のころの大阪事件、日清戦争、北清事変、日露戦争などのその時々に女性がどのように活躍したのかを、個人団体など詳しく説明。
例えば、日清戦争は1894年明治27年に豊島沖海戦で戦端を開いたが、日本赤十字社篤志看護婦仁会は1987年に設立した。
また、日露戦争のころの与謝野晶子は最初反戦的な文章を書いていたけれど、その後満鉄本社の招請で満蒙旅行に出かけたら、戦争に対する態度が一変する。(与謝野晶子は子だくさんで食べていくために書きまくったようであるが、これを聞いて、君死にたもうことなかれは何だったのかと思った。)その後昭和に入り、大日本国防婦人会、愛国婦人会、大日本連合婦人会が戦争の応援団として大活躍した。
といった話を関係資料と共に詳しく教えていただきました。
私は、歴史が好きではなかったので、まったく無知でしてすべて興味深く拝聴しました。
このお話の後まとめとして、
〇ファシズム、軍国主義、非常時の中で戦争反対と言えるのか。気づいたら、戦争の時代になっていたとならないために、他国との武力衝突、反テロ戦争が始まると、一気に愛国化、翼賛化が進む。
〇女の活躍を促す「一億総活躍社会」は、号令によって動く集団への一歩。
「群れない、慣れない、頼らない」堀文子の言葉。
〇日本は同調圧力が強い。自分で考え自分で行動する。